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写真が語る
100年前のダルニー(大連)其の二

日露戦争をパソコンで再現

 大連の骨董品店で一冊のアルバムを購入した。写真は一世紀を経て変色が著しい。セピア色に退色し白黒のコントラストが殆どないが、わずかに残る画像から大連や旅順の写真であることがわかる。アルバムの入っていた桐箱には満州帝国国立中央博物館のスタンプがある。そして蓋の内側には「大島義昌 蔵」と毛筆書きされている.私はノートパソコンを使って、百年の歳月を経て画像が消えかかっているこれらの写真を再生してみることにした。

(大島義昌・註)

 伊国通信員ダッデの記録

 大島義昌のアルバムの中には写真が全部で百一枚あり、その中には日本が無血占領した直後の大連、旅順攻略、連合艦隊や日本が上陸占領した樺太の街アレクサンドリアなどが含まれている。すべてが撮影当時のオリジナルプリントである。満鉄図書館や博物館、それに大連の民家で長年にわたって保管されてきたものだけに、歴史的にも学術的にも貴重なものであると思われる。

 旅順攻略の写真の中に、「旅順包囲軍に従いし伊国通信員ダッデ氏以下九枚この人の撮影」と書き記されている写真が含まれている。当時の写真記者の服装のダッテ氏本人の写真もある。この九枚のプリントにはダッデ氏の署名も焼付けられている。当時の資料によると従軍写真班はテントを利用した仮設暗室で現像をしているので、ダッデ氏の写真も戦場でプリントされたはずである。当時のフィルムは感光剤がガラスに湿布されていたので、そのガラス上に万年筆でサインを入れ、そのまま焼付けたのであろう。

 日露戦争には各国の従軍記者や観戦武官が同行した。直接戦場を見て、自国の国防や兵器の開発の参考にすることを目的としていた。この時代は世界中が列強による力の政治だったわけであり、日露戦争を目の当たりにした観戦武官たちの自国への報告により、近代戦への戦略と兵器がこれまでとは比較にならないほど新しくなったのである。その後十年ほどで第一次世界大戦が始まるが、最初の近代戦といわれる日露戦争と比較すれば、兵器の発達が軍人達だけの戦いではなく、戦争そのものがより本格的な国家総力戦になってきている。日露戦争を直に見た従軍記者や観戦武官達の報告が、その後の戦争のあり方を変えたといえよう。また戦場の報道が戦費調達の外債の売れ行きを左右した。

 ダッデ記者が撮影した写真の横に鉛筆で「伊藤閣下」と書かれている一枚がある。写真には慌しく動き回る日本軍の将校や、カメラを手にした観戦武官がしゃがんでいる姿が捉えられており、写真の中央に戦場には不釣合いの軍服姿で立っている白髭の老人が写っている。写真の説明とその風貌からは確かに伊藤博文と見うけられる。しかし日露戦争に関する資料や本には伊藤が日露戦争の現地に赴いた記録が見当たらない。別の将軍なのかもしれない。他にもダッデ氏が撮影した写真の中には日本軍兵士達が旅順要塞攻略の準備に取りかかっている現場や二〇三高地、砲弾が炸裂するシーンが捉えられている七枚もある。

 大島義昌のアルバム集の百一枚の中には、日本に送られるロシア軍捕虜達の姿もある。日本の負傷兵達と一緒に笑顔で写っているので、最初の近代戦といわれる日露戦争が、まだ武士道や騎士道の精神が残っていた軍人達の戦いだったのがわかる。激しい戦闘の合間に一時休戦してお互いの死傷者を収容したのだ。これが日露両軍の戦いだったと語り伝えられているが、そもそも戦争自体が非人道的なものであり、そのような悠長な戦いをしたから双方に膨大な死傷者を出したのではなかろうか。

 捕虜となったロシア兵士達は、福岡や松山の道後温泉に収容された。帰国までの厚遇ぶりは異常なほどであったようだ。日本のある将校は著書で次のように書き留めている。「市民は、ロシア捕虜を大切なお客とでも思っているらしく、演芸会等をもよおして捕虜を慰めることにした。

 ▼鉄道会社は特別列車をしたててかれらの物見遊山に協力し、それでも足りないと、さまざまな努力をつづけている。教育者たちの態度も、理解に苦しむ。かれらは捕虜たちを招いて各学校を丁重に案内し参観させている。あたかも英雄を迎えるように学生、生徒に訓話している。捕虜とは恥ずべきものであるのに、そのような参観をさせ訓話をすれば、学生、生徒は捕虜こそ最も尊敬すべきものであると誤解するであろう。果して、こんなことでよいのだろうか」。(吉村昭・著『海の史劇』新潮文庫)。その後の中国人や朝鮮人には、日本への強制連行、劣悪な条件下での苛酷な労働を強いたことは周知の事実である。青い目の外国人には弱いと定評のある日本人の証左でもあろう。

 大島義昌の旅順の写真には、二〇三高地の占領によって可能になった観測場所からの砲撃で撃沈された旅順港内のロシア戦艦や、擱座した日本の閉塞船も撮影されている。来年二〇〇四年は、日露開戦から百周年である。

(十三号掲載)
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伊藤閣下と説明書きのある一枚。右下はカメラを持った観戦武官
船上の日本軍負傷兵とロシア兵捕虜
 
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